およそ8ヶ月ぶりに実家に帰省した。
未だにアパート暮らしに慣れていないのか、やはり実家に帰ってくるとすぐに順応してしまう。
それこそ、玄関入ってすぐにただいまと言ってしまうくらいには、である。久しぶり、ではなく。
父は基本放任なので、母と話をすることが多い。
昔から、母と二人になると面談のようになる。
母の語り口は責めるような語り口ではなく、優しい語り口であるが、真っ向からの正論で諭される。
以下、例
・学内の人間と反りが合わなさすぎる(つまるところ陽キャすぎて無理という)話の中で
"向こうがこちらのことを知らないようにこちらも向こうのことを知らないんだから、一方的な印象で人を判断しない方がいいんじゃないかしら"
ごもっともである。
たまに私が言うところの、陽キャ・陰キャという対称性はそもそも存在せず、作り上げているのはこちらという話である。
・とてもじゃないがそんな中で過ごせないという話で
"みんなそうしたいわけじゃないのよ、けどそんなこと言ってたら生活できないからいやいやでもやってるの"
ごもっともである。皆我慢しているのである。そうでないにしても、誰も彼もが人付き合いをしながら生活したいと思っている確証はどこにもない。
ちなみにこれは私の父親に諭されたそうである。私は父以下だったか
・心療内科に行く気力もないという話で
"でも今のまま同じことするわけにいかないでしょう、なんとか前に進まなきゃならないんだから 今のまま人生は終わらないよ"
その通りである。
まぁこんな調子で優しくぶった斬られるので、精神的によろしくない。
もちろん全部が全部正しいとは思わないが、少なくとも私の行き先のないどうしようもないわがままを諭すだけの威力はある。
私の母は強い人間である。
少なくとも、"生きなければならない"という意思を堅く持っている。
母は昔派遣で働いていたために、国民年金しか受け取れないので死ぬまで働くことになるだろう、と語っていた。
それでも、そうなったのは自分の責任だし、それを悔いてもしょうがない、息子のためだからと言ってなんとか切り詰めて生活しているそうである。
はっきり言って父はまともな人間かと言われるとまとも寄りの人間ではない。
昭和の男尊女卑時代の人間ですかみたいな生き方を地で行っている(本人のその自覚は皆無である)ので、母の負担は絶大なものであった。
それでも、私のためだからとこれまでなんとかやってきている。
そんな母を見ていると、一体自分は何を悩んでいるのだろうか?と本当に疑問に思う。
人間、何かしらを犠牲にしたり、我慢したり、切り詰めたり、諦めたり、そうやって前に進まなければならないのである。
それが生きるということの責任であり、義務であり。
それを拒んで停滞するのは、何にもならない、わがままな、ないものねだりなのである。
私は本当に恥ずべきどうしようもない人間だと、改めて思い知らされた。
早いところ死ぬ覚悟を決めるべきだと思っているのだが、踏ん切りがつかない。
全く何をするにも本当に無能である。死ぬことくらいはすっぱりやってくれ。
こんなのが生まれてきて、申し訳ないという気持ちしかない。