ド畜生黙示録

オタク的ないろんなこと

弛緩

最近、昔に比べると生き方というか考え方が柔軟になったような気がする。

いや、実際は全然そんなことはないのだろうけど。


かつては嫌いな思想とか、嫌いな生き方とか、そういった主義主張が激しくて、嫌悪するあまり理想との乖離に悩まされてどうにもならない気分になる、なんてことが多々あった。


例えば、自分はとてつもなく不幸だと思うことを許さないとか。

例えば、自らの不手際、不貞、様々を許さないとか。

例えば、人生の全ては自分の行動の帰結だと考えるとか。


そういうこだわりがあると、たちまち人生は苦しくなる。

思っている以上に世の中は不条理極まりなく、何か単一の思考でどうにかなるほど単純なものではないのだと思う。

自ら苦しめることのなんと愚かなことかとは思うのだけど、考えてしまう人たちはきっと、思想や主義に縋らないと生きていけない人たちなのである。

それを拠り所ないし、自らを磔にすることでなんとか立っていられるような人たち。

世界にはそういう人が一定数いる。


言うまでもなく、苦しい。そうやって生きるのはとてつもなく苦しい。

相容れない人間は排除することになるし、時には自らから自らを排除することになる。

そこまでして得られるのは、結局皆平等に訪れる死のみである。


多分、自分もそうだった。

生き方に何かはわからないけど強い理想があって、でも現実はそれとかけ離れていて。

勝手に想って、勝手に苦しんでいるのは傍から見ればバカバカしいのである。

こんなことに理解を求めるのは甚だおかしい。

誰かに助けを求めても、まるきし理解が得られなかったのはこういうことなんだろう。

自らを檻の中に閉じ込めている人間の狂気など誰も理解できるはずもなかったのである。


どうせ誰しも同じ結末を迎えるなら、もう少し楽に生きよう、と最近は思うようになった。


自分だけが不幸なこともあるはずである。
自分以外はみんなNPC(non player character)で、自分の人生は不条理極まりないから上手く行かないのである。

失敗は別に自分のせいだけではない。色々な要因が絡み合って起きうる失敗もある。

世の中は不条理だ。『実力も運のうち』なのだから、自らの行動が帰結を及ぼすわけではない。
「天は自ら助くる者を助く」なんて大嘘だ。


こうやって考える自分を、許すこと。

ちょっとずつ、色々な考えをする自分を、自分の中に同居させて、ごった煮にするのを認めること。


少しずつゆるっとして行って、やっと人並みの生活に近づけるような気がした。


嫌いなものが多ければ多いほど、生きづらいものである。

とりわけ主義主張や思想はそうである。


とにかく地元というか田舎が嫌いで、いわゆる田舎ネットワーク―すぐにあらゆる情報が地域民の中で共有されることである―が、嫌いだった。

ダブルスタンダードが嫌いだった。口八丁手八丁、そういったものも大嫌いだった。


でもよく自らを省みてみれば、飲みの席で嫌いなやつの話をするのも、とりあえずお世話になった人の顔を立てるのも、結局生きるための処世術で、皆やっていることだった。


”けしからん”とか、”不道徳である”とか、そういう考えが強いと思想に固執してしまいがちなのかもしれない。

もちろん道理に叶った、道徳的な行いをするのは正しいのかもしれないが。

その正しさがいついかなる時も、どんな場所でも通用する正しさなのかというのは、とても自らだけでは担保しきれる話題ではない。


私がしたいのは哲学論議ではないので、この話はこれくらいにして、つまるところ。


生きる上で芯に据えるものがあるのは重要だけど、それが思想だと苦しむ…ということである。


生きてれば色々なことがある。常識の埒外のことが起きることもある。

とんでもない理不尽が働きかけられたり、信じられないような不条理が降りかかることもある。

そうしたときに…自らを柔軟に変えられること。芯がぐにゃぐにゃになってもそれを許せるような自分であること。

どうしても生きたいのなら、こうするしかないのだろうというのが私の結論だ。


思想を芯に据える生き方は美しい。未だに私の理想だ。

もし本当にそういう生き方が可能ならば、そうしていたいと思う。

でも無理だった。

美しさで飯は食えないのである。

大体、生きて思考を重ねれば、思想なんか四方八方に飛んでいくもので、それを許せないという方が頑なという他にない。


血反吐を吐いても、辛酸を吸ってもなお生きるのならば。

泥臭く、薄汚く、どんなに自分を捻じ曲げようとも、地面を踏み締めるしかない。

そういうことなんだろうなぁと思う。


自らを程よく許すことの出来ない人間は、いつしか他人も許せない人間になってしまいかねない。

そういう人間にはならないようにしたいなぁ、と思うばかりである。

別に色々な考えをする自分がいてもいいのである。

その考えをちょっとずつすり合わせて、納得が行くまで考えれば良い。

なんなら、死ぬまで保留にしたっていい。

それを許せないのが不器用な人間で。

自らの在り方を単一の形でしか許せない人。

難しい人種である。


どうか理解してほしい。いや、知っているだけでもいいかもしれない。

世の中には、どういうわけか、何かに固執してしまう人間がいるということを。

そうした人たちに必要なのは、正しさを教えることでもなく、共感でもなく、ただ求められたときにそばにいることなのかもしれない。


と、思いました。終わり。