近頃、以前にも増して親への嫌悪感が募っている。
私が朝起きられないというか、昼夜逆転しているのを見かねて母親がモーニングコールをしてくれていたのだが、当の私は昼夜逆転が治る余地もなく、寝る時間にモーニングコールが鳴る始末になってしまった。
まぁそれだけなら二度寝するだけで良いのだが、どうやら向こうはモーニングコールするのが楽しくなってしまったらしく、ビデオ通話したがるわ起きないと連チャンでかけてくるわでさながらメンヘラ彼女の相手でもしているかのような気分である。彼女できたことないけど。
先日、起きてはいたけどヘッドホンしていてコールに気がつかなかった時、もう少しで新幹線でそっちに行くところだったなんて言われて卒倒してしまった。
たかだか一日、それも数時間連絡がなかった程度でそんな反応をされてはたまったもんじゃない。
薄々勘づいてはいたが、完全に母親が子離れできていない。そして子離れできていない母親に対して私もまた親離れできていないのである。最悪の関係だ。もうこちらからやめてくれと言うべきかもしれない。
定期的にメンタルブレイクして弱音を親に吐いたりもするのだが、全く取り合ってくれないので、いくら実家に帰ってきて欲しいとか、こっちに来るとか言われても全くそんな意欲は起きない。
周りの人間が有能すぎると言えばみんなそう思ってるとか、そんなことはないとか言うし、周りにできていることが自分にできていないことがひたすらにしんどいと言えば昔から負けず嫌いだと言い。
負けず嫌い?
冗談じゃない。
こんなただどん底の深い失意の中にいるのを負けず嫌いだって?ふざけるな。
完全に私の逆鱗に触れていたのだが、余計に面倒になりそうだったのでそれ以上何か言うのをやめた。
それでわからないならば、もっとレベルの合った場所に行くべきだったと言えば、そういう(下のレベル)のが良かったの?そんなわけないでしょみたいな言い方をされて余計にこちらの機嫌を悪くしたのだが。
まぁ私が駄々をこねていると言えばそれまでなのだが、何がそこまで私の嫌悪感を募らせるのかと言えば、その内にある差別心を全く自覚せず、それでいて息子を大切にしていると心から思い込んでいる点である。
私のいる大学は確かにレベルの低い大学ではないし、レベルが、教育の質が低い大学があることも事実ではある。
それはそれとして、私がそこに見合っているかどうかというのは別問題なのである。
いざ大学に入れば、私のそれまでの失意など関係なしに全ては急速に進んでいくし、私が経験し得なかったことの穴埋めは大学に入ってからでは不可能だった。
そのことに気がついた時、私は深く絶望した。
人生が一度周回遅れになったら取り返しがつかないのである。
私の意欲と能力を考えれば、少なくとも今いる場所は不相応であることは間違いない。
なんとなく質の良い授業は受けたいけど勉強はしたくないなんてそんな虫のいい話はどこにもない。それこそ全くのわがままだということに早くに気がつくべきだったのである。
私が何者であるかより、私が何をしたかの方が重要なのだ。
その点で言えば、いくら良い大学にいようが怠惰な私は無価値だし、世間で良くないと言われる大学にいようが努力する姿は尊い。そういうことなのである。
けれど母は私を過大評価するし、他を過小評価する。
これが幼少期はどうだったであろうか?
私を過小評価して他を過大評価していたのだ。
怠惰な私を罵り他を褒め称えていた。
笑い話にもならない。
その差別心が、隠し切れていないのだ。
俗に言えば学歴コンプ。
息子をその枠の中に入れたくないというただその一心で息子を褒め称えるその姿はあまりに滑稽で反吐が出る。気色が悪い。
差別的な思想は誰にでもあろう。
別にそれを咎めるつもりはない。父親がネトウヨというその点は本当に困っていたので咎めたいところもあるが、私とて最近のオタクは…と言うから何にも人のことは言えない。人間なんて大概そういうものだ。
問題はそれに自覚的であるかどうかだ。
母は心から息子を大切にしていると信じている。
それが条件付きなものだと一切の自覚を持たずに。
当たり前だ。私は何でもかんでも愛せる聖人君子を求めているのではない。
そのことになんの異存もない。
気に食わないのは息子を大切にしているという面をしながらその実は差別主義者であるところだ。私が最も嫌いな人種かもしれない。
女性の味方のふりをしたミサンドリスト。
オタクの味方のふりをした表現の自由戦士。
精神を病む人の味方のふりをした自称カウンセラー。
そういうものが私は大嫌いだ。
純粋な悪よりもっと嫌いだ。
母が好きな私は、結局のところ勉強ができる私であり、努力の有無には関わらず最終的に結果を出していることに満足していたようである。少なくとも高校まではそうだった。母の目には挫折らしい挫折が映っていなかったのかもしれない。
それを母は知らない。
もし私が勉強のできない無能だったら、母は私を愛していたかどうか、その確信はわたしには全く持つことができない。
なぜなら、勉強のできない周りの人を必死に卑下して回って、学歴コンプ一歩手前のところまで育て上げたのは他でもない母だからである。
高卒は絶対になってはいけないものだと私は固く信じていたし、大学は簡単に卒業して、就職もきちんとできると、そう信じ切っていた。
口では高卒のママさん多いから…と何と言うことはなかったが、特に仲の良くない人には容赦がなかった。
それくらいできて普通とか、周りのレベルに合わせるなとか。そんなことを言われ続けて私は育った。
学歴に固執しているのはあからさまだ。
(一つ擁護する点があるとすれば私が勉強しなかったせいで周りのママさんから嫌味の嵐だったそうであるから、私のせいで学歴コンプを拗らせたとも言えるのかもしれないが)
そしてこのザマである。
これは笑い話になるかもしれない。
だがまぁ人生を舐め腐っていたのは私で、最終的に全ての責任は私に返ってくるのでこの話はここでおしまいなのである。
つまるところ、私が勉強しない愚図で無能で要領を得ないコミュ症の怠惰で欲深く節制を知らない屑の掃き溜め人間というところに帰結するだけだ。
それを許容してくれるコミュニティが私は好きだ。
ゲームセンター、成人向け雑誌の販売所、パチンコ店、そうした場所が私の癒しだった。
どんな人間でもそれを愛していれば許容される空間、その素晴らしきことや。
母は絶対にそれを善しとしないだろう。
何もかも条件付きだからだ。
その剥き出しの差別心を私は見てきた。
それは私自身が差別されているのとなんら変わりはない。
差別の愚かさを私に教えたのは母であるから、なんと皮肉なことであろうか。
もはや深く内心で繋がり合うことは二度とないのだろうと思う。
遺書に罵詈雑言でも書き留めておこうか。
その狼狽える顔が見てみたいものだ。