私が何か文を書いている時は、とてつもなく昂ぶっている時か、とてつもなくげんなりしている時である。
今は後者だ。
ガストで昼下がりを過ごしていたら、どうしようもなく発狂したいような気分になってしまい、このままだと危ないと思ったので早々に退店して今はモニターの前。
本当だったらまたドリンクバーとポテトで粘るつもりだったのに。
先日話題に挙げていた星野源のエッセイ、『よみがえる変態』を読了した。
書評を書くつもりはないので内容は割愛させていただくが、メンタリティに非常に親しいものを感じるのでニヤニヤしてしまうような内容が多々あった。もちろん重苦しい内容もあるのだが。(彼は2013年頃大変な闘病生活を送っていた)
有名人と何を比べてもどうしようもないのはわかっていても、しかしそれでも、人が綴った人生というのを眺めていると、その埋まらない差というのを真正面から感じてしまい、ただただ辛くなる。
何が辛いかって、読んでいると自分と何ら変わりないオタクでエロを愛するどうしようもない変態なのに、実際のところは、というやつである。
彼と私にある決定的な差は歴然としていた。
人生に対する向き合い方である。
生きることは苦しいことで、死のほうがよっぽど楽なことだという共通見解を持ちつつも、彼はそれ故に今をより善く生きようとする。私は今すぐに死のうとする。
結局はこの差なのだ。
で、色々な考えが頭をよぎって、気持ち悪くなって心拍数が高くなって、呼吸は荒くなって壁に伏して。
定期的にこういう発作が起きる。特に何もなくても、ふと何かがフラッシュバックするとすぐこうなる。バイト中にもよくあるので、困ったものだ。
最初にこういうことが起こり始めたのはいつだろう、と思い返して、思い当たるのは中3頃である。
当時は色々あって辛い時期だったのだが、そのこともあって学校を休み、母と隣町まで所用で出かけたことがあった。
駅ビルの最上階、中華料理屋で食事をした後、急にパニックを起こしたかのようになり、ベンチで天を仰いで息をゼーハーとさせていたのを覚えている。
そこまでひどい発作はその後あまり起こることはなかったが、それ以来定期的に何か思いつめては動悸に近いものが起こるようになった、気がする。
ここまで書いてなんだが、あれは高校生になってからの話だったかもしれない。それすらもよく覚えてはいない。
基本的に私の頭の中では常に音楽とモノローグとが雑然と流れ続け、それはもうひどい有様で、何かに集中するなんてもってのほかなのだが、気分が参るとその頭の中のゴミに余計に意識が向くようになり、モノローグはどんどんと悪い方向に向かって具合まで悪くなる。そんな具合で動悸が起こる。
フラッシュバックという現象も然りである。
私は記憶力は最悪な方で、どれくらい記憶力が悪いかというと、未だにヨーロッパ諸国で場所を覚えられたのはイギリスとイタリアだけという始末である。
過去4回ほど母と2人がかりで覚えようとしたのだが、挫折した。興味ないんだろうな、多分。
そんな記憶力のない私でも、悪い思い出とかトラウマに関しては深く頭に刻み込まれていて、忘れていればよかったどうでもいいことまで、ふとした瞬間に脳裏をよぎって立ちくらみがする。
なんなら、嫌な思い出は、8年近く経過した今でも夢の中に定期的に現れる。1週間とか2週間おきくらいに。6年だか7年だかもう会ってもいない数々の顔を伴って、である。
きっかけというのは本当にふとしたことで、例えば今日ガストで飲んだトロピカルアイスティーとかいうやつ。
ドリンクバーのうち、コカコーラとかホットのとかのでもない、4つ並んでいて、金属製の板をグラスで押すと出てくるやつの、である。多分その並びはアイスコーヒー・アイスティー・野菜ジュース・後もう1つみたいな感じで、長らく変わっていないような気がする。
長らく変わっていないというのが厄介だ。
私の地元にあるファミレスは唯一ガストのみで、15年近くそれは変わらないまま。
時たま家族で行くガストで、あのトロピカルアイスティーにガムシロを2個ほど入れて飲んでいたのをよく覚えている。
さてそんなことを覚えているがために、そのトロピカルアイスティーを口にした瞬間、地元にいた頃の記憶の回想が始まってしまうから手に負えない。
余計なことまで思い出して辛くなる。
”連絡帳”とか”デイリーノート”ですらしょっちゅう忘れていた俺なのに…などとひとりごち、そこから急に通信簿などという言葉を連想して、中学の時唯一”可”がついたのを唐突に思い出したりする。
中3の国語の関心・意欲・態度のところだけ優・良・可だったかの可にされていたのである。5段階評価だったような気もするが。だとしたら多分1とか2とかだ。
理由は明白で、授業中に友達とくだらないことをくっちゃべりまくっていたからである。
ばっちり教科担当に見られていたので、当然といえば当然だ。
その評価を見た時、こころなしか嬉しかったような。
”勉強ができる”なんて烙印を押されて、何の意味もない期待を背負わされて、背負い込んで、潰れてしまいそうだったから、そういう評価がつくと、むしろ自分のありのままが見られているようで気持ちが良かった。
自分はそんな器ではないと、ずっと前から理解していて、世の中にしゃしゃり出ることなどおこがましいと思いながらずっと生きていた。
大学に来るのだって多分本当は嫌だった。
それで成り行きでここまで来てしまって、結局この始末だ。ずっと抱えてきた人生に対するモヤモヤというか、つっかかりはその不安通りピタリと大学で発現してどうしようもなくなってしまった。
でもきっと、大学に来なかったら来なかったで一生それをコンプレックスにしていたんだろうな、と思うと本当に救えない人間である。
自分の価値の唯一性を、どうやって担保したら良いのだろうか?
ド田舎の小学校・中学校の教育のレベルなんてたかが知れていて、それは私も両親も理解していた。
ただ、私以上に母はそれを理解していて、これくらいは出来て当たり前なんだからなどと教え込まれていたから、私の価値は”勉強が人並みにできる”ことに落ち着いていってしまった。
だから勉強が嫌いで嫌いで仕方なくなってしまった高校生時代、私は激情の中、泣き腫らして、錆びたカッターで腕を擦りつつ生きることを親に請うたというエピソードがある。
生きていて良いんですかなどと親に問う子、傍から見たら児童虐待の最中か?と思う。実際には全くそんなことないのだが。
”ありのままでいい”とか、”生きていてくれるだけで”なんてのは大嘘である。そんなものは世の中にはない。
あの激情も不発に終わって、今まで仕方なく生きてきた。今でも動悸のたびにどうしようもない自傷衝動に駆られることもあるが、幸いにもそれだけの度胸がないので、傷一つないまま今に至る。
自傷というのはいわゆる無能の証明というやつであろうか。
もう期待しないでくれ、私は無能だ、と言いながら、物理的にかあるいは精神的にか自らを傷つけ始めるのである。
ここまで行ったら人間手遅れらしい。
ただそうは言っても、無能は無能なのだから仕方ないじゃないか、とも思う。
こんな拗らせ方をしているものだから、いくら親に生まれてきてくれてよかったなどと言われても、ちっとも響かない。
何もかも条件付きで、手遅れになった後に後出しのようにケアを加えるんだから全く卑怯だ。
そりゃあ親という立場だから仕方ないんだろうけど。
ある程度は知名度のある大学に行った私と、高卒でちゃらんぽらんな私とであったら、前者の方が愛されていたであろうことは間違いないのである。
だって、後者のような人をいつも内心では下に見るようなことを聞かされ続けていたし。口でおおっぴらには言わないけど。
地元じゃそういう人は決して珍しくない、というかむしろそういう人の方が多い。今だからこそ、それでも人生だと思えるが、当時はそうはなるまいなどと躍起になっていた。
親に植え付けられた価値観が随分と歪んでいることに気がつくのは、思索をできるようになってからようやくである。
国籍・学歴・職・性癖・趣味etc.
口ではなんと言っても、他人事としか考えていないのだ。星野源のエッセイといい。俺は弩級の変態だぞ。
”オタク趣味も認められるようになってきたね(自分の息子はそうじゃないけど)”みたいな括弧付が必ず後ろにつくのである。
そのことがバレバレだから居心地が悪いったらありゃしないのだ。
…さて、トロピカルアイスティーを飲んだだけで、ものの2分ほどの間にこれだけ支離滅裂な思考が頭の中を駆け巡る気分は味わっていただけただろうか。
文字に起こす時間は30分とか1時間かかるものの、脳内でこの文字が流れるスピードはずっと早い。
それを拾えるだけ拾ってきて文章化したのがこれだ。
そりゃあ動悸も起ころうて。
こんな感覚を抱えながら生きてる人たち、強すぎます。私には人の生活が無理です。
好きなことに好きだと向き合えなかった罰なのかな、と思ったりもする。彼はきちんと向き合ったし、私は向き合わなかった。
ここ数年、人生が今この瞬間に終わることを望まなかったことなど一度もない。
それでもこの身一つで生きるしかないことのなんと非情なことか。
と、また思考がぐるぐるしてきて心拍数が上がりかけているのでもうここまでにします。
辛いね、頭の中に文章が流れるやつ。