ド畜生黙示録

オタク的ないろんなこと

VTuber論争、終結:面倒だからファンってことにしておいてくれもう… 

初めに

おい、ライ○ラリ。マジで許さへんかんな。あたい許せへん。おい。聞いとんのかラ○ヴラリ。おい。おい。マジで許さへんぞ。地の底這ってでも呪ってやる。

なんというか気分としてはこう、決して好きではなかった生まれ故郷が、何者かの手によって燃やし尽くされて跡形もなくなって、その跡地を眺めているみたいな気分。

故郷を燃やされる主人公ってこういう気分なんですね。

何とは言わないですが故郷を燃やされたので傷心気味です。

許せねぇよライヴ○リ。ふざけるなよまじで。

いやだってそもそもゆに様が活動停止してさぁ、その後活動再開して、声が違う疑惑とかあったやんなそれ俺全く気が付かんかったんよ。俺自分でもびっくりしたもん。意外にもこのコンテンツに陶酔しきってるってことにさぁ。

でつくちゃんめもちゃんとか仲間も増えてきてまぁまぁ軌道に乗ったんか?って思ってたけど後で気がつけばそのタイミングでひまちゃんとの絡みはないなってるしさ、そのことに気がつけんかった自分にもイライラするけど。

すごない?俺ゆに様活動停止言うとったん喉やったんか?大丈夫かなゆに様とかずっと言うとったんよ。こんなんじゃチキ冷めバカに出来ひんって俺。

今思えば中身変わってたん、話題の提供具合とか配信の形態とか鑑みればまぁ明らかなんかもしれんかったん浅かったなぁ思って愕然としたわほんまに。

で結局この引退ラッシュやん。もう跡形もないって。おしまいやよ。こんなファンが惨めな思いすることある?いや?ファンじゃないが

経緯

The end…


本文

これまでVTuberというコンテンツとの在り方を散々悩み尽くし、時には対立し時にはアンチになり、時にはいや?ファンじゃないが?になってきた私であるが(下記参考)、遂にある結論を見出した。

dochikku.hatenablog.com

それは「VTuberはナマモノコンテンツである」という落としどころをつければ問題ないのでは?というものである。

これまでにしてきた議論を踏まえると、

  • VTuberというコンテンツ自体は全く嫌いではない
  • だがキャラクター設定との乖離、すなわち演じられていないことへの違和感、あるいはそれをコンテンツであると認識することへの疑問、さらにはその違和感を感じることで個人の尊厳が守られないことへの危惧がある
  • 配信を主とするようになったVTuberは果たしてVirtual ”Youtuber”なのか?という疑問、それはつまるところただガワを被った配信者ではないのか?
  • 人様のコンテンツを用いるのに十分なリスペクトが本当にあるのか?

というあたりが争点である。

端的に言えば、VTuberという存在を”人格”として扱わなければならないことに対する違和感、それは本当に二次元的なコンテンツと言えるのだろうか?という疑問と、逆に彼らもまた”人格”に対するリスペクトがあるのか?という疑問である。

だがもうそういったことを諦めて、”ナマモノ”であると割り切るというのがこのコンテンツの楽しみ方であるというのが正しいのだろう。

そもそもな話、ナマモノコンテンツに忌避感があったというところにこの議論の発端があると思うし、ナマモノならナマモノの履修の仕方を学ぶか…という姿勢になればいいだけの話である。

これからを生きるオタクとしてこの世に存在するコンテンツの履修方法を柔軟に身に着けなければ、結局自分で自分の首を締めているだけだということに気がついたのだ。なぜなら私のいる集落は限界集落だらけで行く先がないからである(例:ボンバーガール、音ゲー等々)。しんどい。

なので、VTuberは設定以上に”人格”のあるナマモノである、という姿勢を構えることで今あるVTuberのコンテンツ性と和解したのである。

赤月ゆにを信奉していたのは、生配信以上に動画媒体でのコンテンツ提供を主にしていたからであり、そこに優位性を見出していたのだが、もはや故郷をなくしたので帰る場所無き子である。さようならYoutuberとしてのVTuberよ…

信念見せろや

だいぶ前からブルアカの配信をしているVTuberは見ていたのだが―名取さなとか卯月コウとかその辺の人である― 困ったことにこのアンジュ・カトリーナという女、気持ちが悪い。

www.nijisanji.jp

ブルアカの配信をしているやつは気持ち悪くてなんぼだと思っているのだがこの女、名取と同格かそれ以上に気持ちが悪い。しかしそれでいて思慮深い。あまりにも”先生”である。

まずその気持ちが悪いところが大変に気に入ってよく見るようになったのだが、更に困ったことにこの女、イケボである。

ブルアカ配信やってる時は気持ち悪すぎて気が付かなかったが歌とかコラボ配信見てて気がついた。

www.youtube.com

全然好きじゃなかった歌がアンジュの歌唱でバチクソハマってるように聞こえた。アンジュ歌に自信持て

自分の好みなんて全く意識したことがなかったのに、アンジュの声があまりにも好みすぎて死ぬほどびっくりした。

音声作品が全然受け付けなかったのは甘々の女ァ!ってボイスがだめだったから説すら浮上した。

そして更に困ったことにこの女、妙にカプが派生する。

皇女と幼馴染というのを知った時すらだいぶ脳が破壊されたのに初期lzanの生々しい感じでもっと脳みそが破壊された。しかも最近はろめじゅりも来てるしやべぇ。

彼氏が欲しいのに寄ってくるのは女ばかりとかいう嘘みてぇな状況があまりにも美味しすぎる。百合厨なので本当にご褒美である。

ナマモノでそういうことを考えるのは禁忌だし愚かだと思っているのだが、例え表面に見えているものが嘘でも本当でも色々と考えようの余地があるのでこれは想像力が掻き立てられるコンテンツであるということが分かってしまったのである。

表面的なものが真実だとするならばそれはもうそのままを摂取すればシンプルに美味しいし、表面的なものを疑うのであればそれはそれで”営業百合”風味がある。それもまた一つのジャンルである。

どのように陶酔するにせよ、陶酔の仕方を弁えて摂取すれば楽園みたいな世界である。

あと供給が多い。マジで多い。これ何?リアルタイムでの供給が多すぎる。でも見る。ちゃんと見る。

どうせファンを名乗るなら切り抜きだけ見てます!とかじゃなくて本配信見るかアーカイブ見ろや。マジで。何がオタクやねん。その熱意と態度で語ってみせろや。

オタクやるなら魂燃やしたいやんな?

人のことファンじゃんとか言って煽ってる暇があったら誠意を見せい。俺と勝負だ。

もうファンでいいので熱意バトルしようぜ、俺と。オタク語りしようや。

追記

あ゜