ド畜生がVTuber(という業界)のアンチであるところは最早周知の事実である。
知らんやつは過去に投稿したnoteでも読んでくれ。どっかにあるから。
あったわ。
まぁ今もこの内容とほぼ変わらない矜持は抱えている。
(二次元の)オタクたるもの、VTuberなどというまやかしにうつつを抜かしていてはならんなどと自分に言い聞かせている。
ただ、この時の自分はとにかく厄介な言い回しと、自虐心、それから自分を平成初期のオタクと信じて疑わない尊大な何かがあって文章が大変に痛々しいな。痛々しい。そのくせ怠惰だから救えないねぇ。
でもこの辺は今もそうだな、と思う。
・私は現実が嫌いで
・現実とは二次元コンテンツの外と想定されて
・二次元コンテンツは演じられたものである必要があって
・演じられていないVtuberは受容できない
うん、まぁこれはそうでしょ実際。
オタクなんか画面や紙に映るまやかしを信仰しながら生きる生き物なんだから。
場合によっては地下アイドルとか現実に映るまやかしもあるかもしれないけど。
全く信心深い生き物だ。
”現実がコンテンツの外”というのがミソだ。
オタクにとっちゃコンテンツが命であり世界なんだから。
キャラクターという建前を作っておきながら、中の人の人格をも出して、二重に押し出すのじゃあ、もうニコ生配信者と変わらないじゃんね。
おまいら女ニコ生主を槍玉に上げて晒し上げてお祭り騒ぎしてただろ?そういうことだよ。
え?してない。そうか。うむ。
俺もしてなかったわ。人がしてるのを見てただけ。
そういうことしてたやつは今でもVTuberのアンチやってそうだしまぁそういうことだよな。
吐き気がするんだよな、リアルの人格を押し出してるように見せて、その実猫被って(以下コンプライアンス違反により省略)
そんなわけでそんな感じになった業界がだいっきらいだったんだけど、ふと思い直してみた。
俺は”何が”嫌いだったんだ?と。
つまるところ、キャラクター性の欠如、こだわりの欠如、そうしたオタク性の欠如こそが一番の問題なのであって、それを自分で自覚しながらもただのVTuberアンチという形骸だけが残っていたという事実が、そこに横たわっていたのである。
これはいけない。
俺が憎まなければならないものの一つは、”流行りだから逆張る”ことだ。
流行りだから逆張る、ということは、自分の信念に合致するかもしれない作品を手中から逃す可能性を孕んでいるのである。
オタクの真髄は作品との対話のはずである。そう岡本太郎も言っていた。多分。
こんなことでは、誠実なオタクの態度とは言い難いのだ。
とりあえず、ゆにクリエイトは良いんだよ。良い。
良いよな…ゆに様…
というかゆに様は自分で私はVTuberじゃないって言ってるの。だから大丈夫。(何が?)
気がついたらひまちゃんの方が登録者数伸びてて笑う。
ゆに様はキャラ作りがちゃんと出来てるんだよな。
だからこそあの意味不明なシチュエーションボイスもちゃんと刺さるんだ。
ちなみにだが去年(もうすぐ一昨年)にちゃんと買ってる。しっかり好きじゃねぇか。
あと気持ち悪いのも良いんだ。
それも平成のオタク的な意味で。
今の俺がブルアカにお熱でお熱なことは言うまでもないから、同じようにブルアカにお熱な気持ち悪い人を見ると楽しくなってしまう。
こういう人たち。
とにかく口にする言葉の一つ一つが気持ち悪い。それでいて解像度の高い解釈をお出ししてくる。平成のオタクのそれ。
多分彼らは同志だ。憎むべき存在じゃない。それを思い知った。今は反省している。
結局先入観に蝕まれて拒むべきじゃないものを拒んでいただけに過ぎないのである。
本当に反省するとともに、オタクとしての態度の浅さに反省している。
それはそれとして、株式会社○○ーと戦争どちらが無くなって欲しい?と言われたら前者だよ。
例の恨み節こんなことになっちゃってて予想外だよ、もうなんかの悲劇だろこれ。
これ自体はホロってよりこのゲーム作ってる会社がゴミクソなだけなんだけど、こんな陳腐なアジテーションにごまかされるくらいみんなこいつらのこと嫌いってやばすぎるだろ。俺が言えた口じゃないけど。
同じコンテンツに見えても、ここまで態度に差が出るっていうのは、やっぱり信念の差ってやつだ。
好みの差じゃない。最早思想・信条に沿わないものを排斥するっていうレベルの。
こういうオタクがいっちゃんダルいんだわな。
マジでダルい。
けどそういうダルさあってこそオタクだと、やっぱり思うからこれで良いんだとも思う。うん。