ド畜生黙示録

オタク的ないろんなこと

決して接客業は得意ではないが

なんだかんだ、今の職場、かつ初バイトの職場で働き始めてまもなく4年目になろうとしている。


ゲームセンターという場所は私にとって特別な意味を持つ。

兄弟もない私にとって、あんな辺鄙など田舎にゲームセンターがあったということは一つの奇跡で、私の唯一の憩いの場であった。

学校は言わずもがな、今思えば実家とて決して気持ちが安らぐ場所ではなかったのかもしれない、と今になって思う。

両親はいつ険悪になるかもわからないし、父親はタバコを吸いっぱなしだし、フルートの録音に雑音が入ると機嫌が悪くなるし、母親はいつも気苦労して父の悪口を言う。

そんな中に私がたった一人挟まれているという状況は、異常なストレスだっただろうな、と当時を振り返って感じる。
それでもまだ、両親の私への愛を感じていたからこそ、耐えられたのかもしれないが。あるいは両親以外に頼る術がなかったとも言えるかもしれない。


ゲームセンターはそんな私を解放してくれる唯一の場所であった。
ゲームに没頭して、それ以外は考えなくて済むし、新しいコミュニティも出来た。

ありがたいことに、こんな青二才に構ってくれる大人がいくらかいたのである。

店員さんをはじめ、音ゲーマーの方々、そこで出来たコミュニティは、私にとって救いであった。


はっきり言って、私は学校では全く上手く行っていなかった。

なんにもなかったプラマイゼロで済めばいいが、私のは完全なマイナスだ。
そんな私の醜態を何も知らない人たちがいてくれるというのは、大変に嬉しいことだったのである。


今でこそ、ゲームセンターは画一化されて、どこに行っても大手のゲーセン資本が支配しているが、昔はそうではなかった。小さなゲームセンターがいっぱいあって、そこで固有のコミュニティが出来上がっていた。
ゲームセンターとは地域の一部であり、ある意味で居場所が無い者の、集いの場であった。

…だからこそ、一時期のゲームセンターは本当に治安が悪くて、対面から灰皿が飛ぶような様相だったのだろうが。


田舎だったからこそ、私の故郷のゲームセンターには、まだコミュニティがギリギリ残っていた。
あれは私のゲームセンターの元型であり、憧憬である。かつてのゲームセンターの、ノスタルジーである。

だから、今のゲームセンターの在り方は、正直耐え難い。

もう私がゲーセンに行き始めた頃には既にそうなっていたのであろうが、プライズありきの、コミュニティが解体された、資本主義の成り行きのようなあの場所に、還るところはない。


私はコミュ障だ。練習しても、人の目を見て話すことすら危うい。ずっと語頭に”あ”が付く。話の息継ぎのタイミングがわからない。

そんな私が、未だにこんな接客業を続けているのは、偏に恩返しのつもりなのである。

あの時、私に逃げる場を提供してくれたゲームセンターで働いていたい、と心から思うのである。

そんな今の職場も、時勢の流れに飲まれた。


それでも、ここでコミュニティを作ってくれている彼らを、最後まで大切に出来たら良いな、と思う。

もう先の無いこんな業界で居場所を見出す、偏屈な同志を、大切にする同志でありたいと、思うのである。