ド畜生黙示録

オタク的ないろんなこと

追憶:トラウマ

夏休みが終わり、最初の授業週であったが、おおおよそつつがなく終えることができた。
一つ問題があったとすれば、対面にも関わらず開催教室がどこにも書かれておらず、結果初回授業に参加できなかった授業があったことくらいで、結局良く見るとオフィスアワーのところに教室が書いてあったというオチである。殺すぞ。

あまりにも久しぶりの対面授業だったので、本当にどうなることやらとビクビクしていたものだが生活習慣が崩壊しつつもなんとか参加自体はできている。不思議なことに。
というか、むしろいつぞやも書いたかもしれないが、教室という空間に捕縛されることで授業への参加自体はよっぽどオンデマンドの時よりもマシになっている。

一概に陰キャだからオンデマンドが向いているというわけでもないのである。
あいも変わらず人との交流は心の奥底、もはや遺伝子レベルで拒否しているのでそうした授業は消した。今日の5・6限に入れていたものは消えて1単位減った。致し方なし。ストレスを軽減することより勝るものなどあるわけがない。

コミュニケーション能力がなく、学習意欲が皆無に等しい浅学非才な学徒からすると、対面とオンデマンドでは対面の方が良いが、発表・グループワークを含むとどっちも変わらないくらい嫌なのである。
対面(講義)>オンデマンド(講義)>>>>>越えられない壁≧対面・オンデマンド(発表)
といった具合である。

自己管理能力が著しく欠けているので、適切な時間に自ら適切な速度で、しかも自宅で講義を見なければならないなど拷問に等しい。
場の空気という問題もある。
私にとって自宅は唯一の安住の地であり、そこに外の空気を持ち込むなど言語道断である。
ましてやそこで発表を行うなどとなればもう最悪だ。ひょっとしたら発表系の授業はオンデマンド(というかオンラインか)の方が嫌かもしれない。

時間が自分の手の中にある、という状態はむしろ好ましくない。
なぜなら、自分の裁量次第でそれを如何様にも無駄にできるからである。
であれば、勝手に講義が進んでコントロール不可能な方が、緊張感も程よくそちらのほうがよっぽど集中できる。
コントロール可能な状態というのは、裏を返せば本人のコントロール能力に全ての進捗が依拠するということである。

とまぁ、このように対面の方が種々の理由で授業参加自体はマシである。朝つらすぎることを除けば。

今思うと、なんとかギリギリ大学生活を送れていた1年生の時も、発表の授業は過度なストレスを覚えていた。
データサイエンス系の授業から哲学系の講義、英語の発表なんかもう息が上がりまくって最悪だった。気が狂うかと思った。
しかし大学というのはそういう技能とどうあがいても縁を断つことができないし、もっとよく考えて進学するべきだったと改めて思う。

発表に関してはかなり昔からトラウマを抱えている。
挙げたらキリがないので一番酷いものだけで言えば、中学の時の副会長選挙である。
おそらく立候補の人数か何かに学年でノルマがあるのであろう、ものを断ることを知らなかった当時の私に白羽の矢が立ち、担任からやれと言われて立候補させられた。
うちの担任は原稿を直読みすることを酷く嫌っていたので、原稿は丸暗記させられた。
当時から記憶力は良い方ではなかったので覚えるのも大変だったし、結局途中でど忘れしてどもってしまった。
他の人は皆普通に原稿を読んでいたし、終わったあと恨めしい顔で担任を見たら意にも介していなかった。
一番酷いのはこの話のオチで、そもそもこの副会長の選挙自体ある種の出来レースで、1年生だか2年生だかの後輩が全学年に顔が広く有力者の後ろ盾も大きかったために最初から結果がわかりきっていたということである。
中学校で顔が広いとか有力者とか冷静に考えて意味がわからないが、田舎の公立中学というのは縦のつながりで非常に強固なヒエラルキーが出来上がるものなのである。本当にくだらない。
で、私はそれから向こう1年、というか卒業までこの選挙の原稿内容でからかわれ続けた。
こうした発表とか発話に関するトラウマは、よく本人の勘違いとか、思い込みによるものだと言われがちだが、私の場合は残念ながら直接的にマイナスのフィードバックを受け続けたために色濃くトラウマとして残っているのである。
※だから私はあまり暴露療法というものを信用していない。私は発表場面を経験するたびに、それからどのようなフィードバックを受けたとしてもトラウマが蘇って、ただただトラウマ経験が蓄積されているからである

今でこそまだマシにはなったが、私は幼い頃から、中学卒業までいわゆる”変な子”枠だった。
どれくらい変な子だったかというと、舐めるとコーラの匂いがするからと言って女子の鉛筆を舐めてみたり(小学1年)、教室のゴミ箱の下に何故か好きな女子への恋文を隠してみたり(小学2年)、ゲームの話しかできない”ゲーマー”として扱われたり(小学4年)、等。
列挙しすぎるとただ自分を傷つけるだけなので程々にしておく。
”変な子”でいる間は本人には大概自覚がないもので、そうした自覚を経るにはかなりの時間がかかった。そして気がつく頃には発達に著しく悪い影響を与えているわけで、取り返しがつかない。
”周りと違う”というのは、私にとって”変な子”の烙印と大差ない。
だから私は、周囲と同質であることに憧れるし、もう少し普通に生活してみたかったと思う。

私の場合の”変な子”を指す具体的なワードは、人の心がわからない、人との関わり方がわからないという点に帰結する。
原因についてはいくつか思い当たる節はある。
大別すれば生得的なものと環境的なものの2つ。
1つに生得的なものというのは、端的に言えば発達障害の類である。
再三言っていることではあるが、うちの父親は典型的な高機能自閉症の症状を呈している。(診断なんかつけようものなら暴れ狂いそうなので病院で診断をつけてもらうことは叶わないのだが)
私にも診断こそついていないものの、こだわりの強さ・目が合わない・コミュニケーションの違和など思い当たる節は多々ある。それも現在ではなく、幼少期エピソードとして挙げられるのでなおのことである。
もう1つの環境的なものというのは、同年代の子供と交流する機会が少なかったという事である。
幼稚園には通っていたが、積極的に誰かと遊んでいた記憶はあまりない。
一人っ子家庭だったので、もっぱら家であそぶことが多かったし、他の家庭の子供と遊ぶ機会もそう多くなかった。習い事もなかったし。
そんなわけで小学校からようやく本格的に人との交流が始まるわけだから、そりゃ人との交流がうまく行くわけもない。
しかしいくらそんな私でも、交流がうまく行っていないということが自覚されないほど滅茶苦茶というわけでもなかった。
だから私は、次第にそうした交流の方法を学習していった。様々なパターンを学習し、やっていいことと悪いことを考えるのである。
普通はこうして発達するんじゃないかと思っていたのだが、調べてみるとどうもそうでもないらしい。
人間は発達の過程でそうした人の心を読むということを勝手に習得するらしい。
にわかには信じがたいし、今も全面的に信じているわけではないが、しかし私が”変な子”であったことを考えるとそうなのかもしれないとも思うのである。
例のえんぴつ舐めエピソードなんか典型的だ。
あの時、たしかに私はその行為を相手が喜ぶと思ってやった(あるいは自分のことしか考えていなかったか)のである。
だからかなり否定的な反応を相手にされた時、驚いた。
これはやってはいけないことなんだ、とその時学んだ。

学習によって人の心を学ぶということ、人の心を”持っている”ことにあまり差異はないように思える。
しかし、明確に違うのは、学習によって得た読心術的な何かは誰かの様子を常にうかがう必要があるということである。でないと失敗する。
だから私のコミュニケーションの方法は、自発的というよりもむしろ受け身的、即応的なものである。
その場しのぎの継ぎ接ぎなコミュニケーション。
私にとってのコミュニケーションとは、モニタリングにおける結果であり、手段ではない。
流石に言いすぎかもしれないが、親しい人以外だったらそんな程度である。

こんな人間が大学などという正常な人間だらけの場所で適応できるだろうか?という話で。

未だに母親は私をよくできる子だと誤認しているし、周囲と大差ないなどと傲慢にも思いこんでいるのである。
私の不適応を”負けず嫌い”と評された時は怒りで我を失うかと思った。縁を切ろうかとすら思った。
何が負けず嫌いだ。もう”負けている”んだよ。
社会的な敗北者と呼ぶには裕福すぎるし、勝者と呼ぶには惨め過ぎる。
だが少なくとも、コミュニティにおける敗者であることには間違いがない。
こんな絶望の淵で何が負けず嫌いだ。クソッタレ。

私はもう十分に傷ついた。これ以上傷つきたくないし、前に進む気もない。
ただ安らかでありたい。
そんな者には大学は向いていない。

こうしたトラウマエピソードとか、失敗談を体系的に記述する機会はあまりなかった。
書いていて息が詰まる。かなり苦しい。
それでも私が感じたことは、私にしか書けないことである。

…疲れた。
マイナスなことを記述するのは精神的な疲労を伴う。
投稿寸前まで疲労を披露と書いていたのに気が付かなかった。もう辞めよう…