ド畜生黙示録

オタク的ないろんなこと

運命?

私はあまり巡り合わせというものを信じない。

偶然の素敵な出会いが、予定調和的だったら面白くない。
今ある人間関係が成すべくして成されているものだったらそれはかなり私にとって虚しいことである。

お世辞にも人望があるとは言えない私だが、今いる友だちは本当に良くしてもらって感謝してもしつくせない程なのだから。


だが、先日、ひょっとしたら人生で初めてかもしれないというほど、運命じみたものを感じた。

授業日だと勘違いして大学に足を運ぶと、私のとっている授業だけ大学院入試で1・2限とも休講だった。
これではただ早起きして健康な生活をした人になってしまう。
それはそれで悪くはないのだが。

実はこの前日に、1年生以来全く話してもいない人からLINEが来ていた。
とうとう自分にもマルチの魔の手が迫ったかと思ったのだが、どうやら別の友人から私の惨状を聞いて心配してくれたらしい。
流石に少し相手に申し訳なくなった。

そこで学生相談を勧められたものだから、どうせ時間もあるのだしいい加減行っておこうと思い立って学生相談に向かうことにした。


私はかつてカウンセリングで何度か失敗している。

一度は高校1年の時、某所のヤブ医者にかかったのが一度。
二度は大学1年の健康診断で呼び出された時。
三度に保健管理センターの精神科にかかった時。

とにかく人との相性が悪いというか、上手くマッチしなかったためにあまりその手のカウンセリングには気が向かなかった。
というか、行きたいけど行けないというか。

この手の領域は良し悪しがピンからキリまでである。
そのキリの方を引きすぎている。かなり苦手意識が強い。

それでも、あまり悩みを引きずりすぎているのもよくないと、意を決して学生相談窓口に向かった。

相談の担当の顔を見た時、息が詰まるかと思った。

私は研究室配属で一つ段階が詰んでいるのは周知の通りである。
とにかく誰かと面談しなければにっちもさっちもいかないという状況で、やっと一人、候補を決めたところであった。

そのメールを出そうとした候補の教授がまさにその、相談室の担当の教授だったのである。

私はその瞬間に、視界が拓けるような、目に光が射し込むかのような錯覚を覚えた。

生まれて初めて、巡り合せというものを、運命というものを感じたように思える。

本当に親身に話を聞いてくださったし、より上位の学生相談の予約を入れるところまでやってくださった上に、研究室配属の面談は行ったことになった。
それから別の教授にメールも出したし、何もかもがトントン拍子に進んだ。

こんなことは本当に初めてかもしれない。

何もかもが上手くいかないかと思われた人生に、僅かながら光明が見えた。

もちろん第一希望が通るとは限らないのだが、少なくともまた研究室に配属されないなどというルートは無くなったのである。

それが天国への階段か地獄への階段かはわからないが、停滞することをようやく辞められた、というのは大きな進歩だ。

まだこれからどうやって事が進むのかは全くわからない。

しかし、時には運命がなんとかしてくれることもあるのだ、と思い直す経験になった。