世間ではロシアとウクライナの開戦がどうのということで話題が持ちきりだが、私からすれば、そんなことに危機感を覚えているのはまことに裕福なというか、恵まれた人間であると思う。
ただ目の前の生き死にを考えるしかない、惨めで陰鬱な人間はそんなことを念頭に置くどころではない。
そもそもこんな日本という恵まれた国でぬくぬくと過ごしている時点で、こんな事を言う資格は微塵もないのは百も承知であるが。
こう何日も文字を書こうと思う日が続くのは、大変珍しいことだ。
思うところあったので、書かねばならぬ、と、ココスのドリンクバー粘りを早急に切り上げ、バイトまであと5時間というところ、アパートの一室でモニターの前に向かっている。
昨日書いた通り、今日が復学願のデッドラインであり、今しがたそれを提出し終わったところだ。
担任の住処は人間学系棟の中でも未だ整備が一切されていない、まるでペットショップのような校舎の一角で、またあの場所に行かねばならないのかと思い、頭はくらくら布団の中でえずきながら、約束の20分ほど前まで、10分おきくらいにアラームをかけたり解除したりしながら出発を引き伸ばしに引き伸ばしつつ、やっとの思いで家を出た。
ペットショップのようなというのはある意味比喩ではなく、実験に用いるラットが大量に飼育されているので、中に入ると本当にペットショップさながらのあの独特な臭いがする。
ハンコだけもらって早々に切り上げたかったのだが、結局少しばかり世間話をしてしまった。失策である。
聞けば明日が入学試験の日であり、今日の13時から校舎立ち入り禁止だというのだから本当にギリギリだった。
校舎を出る頃には吐きそうになっているものだから、人付き合いというものが全く苦手なのだろうと思わずにはいられない。
そのくせ、アルバイトはバリバリの接客業というのだからわからない。
担任を前にしながら、以前面談した時のことを思い出していた。
”なになにしなければならない”という風に見える、とか、したいことはないのか、とか。
人は義務感だけでは動けない。
有り体な言い方ではあるが、やはり好きこそものの上手なれというか、そういった気持ちが原動力になるのである。
だから、別に入りたくない大学だったわけではないが、そもそも学校というものが嫌いな私にとって、大学という場所は至極苦痛であった。
担任もそうした生徒は数多見たのか、受かったのだから入りなさい!と親御さんに言われた生徒はやはり私のように休学なり、退学なりに追い込まれるのだとか。
私のしたいこととは一体なんなのだろうか。
私はきっと、人より”好きだったものが嫌いになった”経験が多いと思う。
あるいは、”もとより嫌いだったものがもっと嫌いになった”とか。
小学4年生の頃、地域の小さな将棋教室に通っていた。
同級生の祖父がボランティアのようにやっていたもので、どちらかというと将棋好きの寄り合い所のような様相であった。
畳張りの広間で、長机を並べて、ゴム性の将棋盤マットがいくらか並べられているような、あの感じである。
今でも覚えているのだが、先生と指した最初の将棋、一手目から指導が入るとは思わなかった。あの衝撃たるや。
うちの実家は小さい自営業店で、その唯一の従業員である(つまるところ、うちの両親以外の唯一の雇用者ということである)女性に遊んでもらっていたのだが、将棋などその一環でしかなかったので定石など知る余地もなかった。
将棋に触ったことがある人はわかると思うのだが、もちろん最初の一手は角道を開けるか、飛車道を開けるかのどちらかであるから、4四歩(7六歩)か、8四歩(2六歩)である。
そんなこと知る余地もなかったから、面食らってしまって、帰る時には半泣きだったような気がする。
それでも週に一回、土曜日に開かれるその集まりに通い続け、ある程度は将棋を指せるようになった。
そうこうして1年か2年、東日本大会の前哨戦となる某県の県大会に、団体として出ることになった。
親しい友人2人とチームを組んで、私の地元の市から初の出場ということになったのだが、なんとそれで優勝してしまった。
最後の一戦は私の対局で、周囲の目線が集まるものだからひどく緊張したのを覚えている。
東日本大会は惨敗であった。やはり格が違った。
そうしているうちに私は中学に入学し、部活動に嫌でも入ることになり、団体戦は私ではない他の人が出ることになっていた。
やがて将棋からは遠ざかり、週一回土曜の集まりからは疎遠になって、やがて嫌いになった。
小学生の時、時たま模写をしていた。
東方とか艦これが全盛期のあの頃、そうした二次創作の絵を、絵を描くためのものでもないレポート用紙の裏なんかにいっぱいにして描き殴り、大きさの配分なんか気にしないものだからいっぱいにはみ出して、レポート用紙同士をセロテープでくっつけて、ようやく完成したりした。
色塗りもちゃんとしていた。12色入りくらいの色鉛筆を3セットも持っていて、きちんと塗り分けたりもしていた。
ある時、ポケモンかなんかの模写を自由帳に描いたのを学校で見つかったことがあり、クラスではお調子者のやつに、さんざん自分のほうが上手く描けるとコケにされ、それ以降模写をしなくなった。
ちなみに私のほうがよっぽどよくできていたのではあるが。
中学の部活は軟式テニスであった。
そんなバカな、と思われるかもしれないが、事実である。
親しい友人たちが入るというものだから、どうせ入らなければならないのであるなら、と言って入ったのだが、本当に地獄だった。
今思うに、縦型の社会というのを酷く嫌うようになったのはこの経験からのように思える。
1年生であるにも関わらず、先輩達ともとから交友のあった人たちは優遇され、元から軟式テニスをやっていた人ばかりがもてはやされ、まともな指導は下の方の生徒には全く入らず、実力順で格付けがなされた私と他の何名かは最下位なので荒れたコートを使わされる羽目になっていた。
先輩達からは白けた目で見られるし、なんというか、社会の縮図であった。
そんなふざけた日常とはいえ、友人たちと山の上の方にあるコートに向かってダラダラと坂道を登りつつ、くだらない話をしているのは今となってはいい思い出である。
結局、微塵もテニスが上手くなることはなく、3年の合同大会に出るのがあまりに嫌だったので、その前に抜けた。
2年の時に顧問が変わったのだが、その顧問が冷静沈着な上に指導をまともにする面倒なタイプで、1年の時の惨状を知らないものだから酷く下手っぴな私たち約数名を冷ややかな目で見ていた。
それでも部活をやめることに反対はせず、その代わりちゃんと勉強していい大学に入れよと約束した。
あの約束はきっと果たされただろう。このざまだけど。
彼が最初から顧問だったなら、あんな体たらくにならずもう少しまともな印象をスポーツに持てていたのかも知れない。
しかしそうではなかったから、ただでさえ嫌いだったスポーツはもっと嫌いになって、今ではこの世で一番嫌いなものの1つである。
こんなだから、世の中には嫌いなものばかりだ。
ひょっとしたら、好きなものの方が少ないんじゃないか?と思うくらいである。
あんまり嫌いなことは口に出して言うなとか、負の感情はよくないとか言われがちだが、私ははっきりと言う。嫌いなもんは嫌いである。
好きだったのに嫌いになるなんて、おかしな話である。
けれどもまぁ、ツイッターを眺めていれば熱心なファンが一転してとんでもないアンチになっていることなんてザラだから、不思議な話でもないのかもしれない。
元々勉強は好きだった。
いや、勉強そのものが好きだったかどうかは大変疑わしいところがある。
自分で言うのもなんだが、私はある程度は勉強ができる方だった。
いくら地方の荒れた中学とはいえ、統一の模試で校内3位だったのだからまぁそれなりである。
ちなみに上位2人が圧倒的すぎて、私はその影に隠れて小物扱いである。理不尽だ。
特に数学は割とできる方だった。
逆に社会科科目とかは全然からっきし。
で、いざ高校に行ったらまぁ理系科目がてんでダメ、数学は結局数Ⅲになったら赤点を一度叩き出す始末である。
元々好きだったものが嫌いに転じた時、深く省察を重ねてみる。
昔よく悩んでいたのは、結局好きだったのは勉強ではなくて、勉強ができる自分だったんだ、という気づきをしてしまったことである。
算数が好きな自分ではなくて、算数ができる自分が好き…そういう気づきをまぁ小学生だか中学生のはじめくらいにしていたものなので最悪だ。
だから勉強ができなくなった途端、勉強が嫌いになってしまった。
こうして嫌いなものをたくさん作ってしまった結果、迂闊に好きなものを作れなくなった。
すぐ何かのきっかけで嫌いになってしまうと思ったから。
将棋だって、最初は純粋に楽しんでいたはずなのに。
競技性が高まっていくにつれて、親しい友人と比べられる機会も多くなり、それに見劣りする私は劣等感に苛まれて、それで、嫌いになった。
おかしいなぁ。あんなに好きだったはずなのに。と、昔の自分を振り返りながら思う。
ずっと好きで続けて来たはずの音ゲーもそうだ。
なんだかやる気がなくなって、ここ最近はバイトに行く時だけのプレイになっている。
ストイックにプレイし続けて、ほんのちょっとずつ上手くなって、7年かけて最高段位の皆伝を取ったはずなのに。
どこまで行っても満足できなくて、満足できない自分にイライラして、嫌いになってしまいそうだ。
そうした職人性は決して悪いものではないが、どう考えても趣味に持ち出されるものではない。
自分を見つめて、じゃあ本当に、それそのものが好きなことって、一体どれくらい残っているんだろう?と向き合ってみる。
そうしてどれだけ向き合っても、社会で言うところの実用性だとか、有用性だなんかを考えてしまうと、思考が尻すぼみになってしまって、考えるのをやめてしまう。
さて。時間を今に戻そう。
吐き戻しそうになるのを抑えつつ、近所のココスに寄った。外へ出て書類を出したご褒美だ。
アパートの近所には3つもファミレスがあるが、そのうち一番高級なのはココスだ。
ちなみに、自分の中では勝手にロイヤルホストがファミレスの中の最高級格だと思っているが、どうだろうか。
今月の仕送りは5号機のお別れのためにほとんど先月に使い切ってしまっていて、月末お金がないものだから親のクレカ払いでココスである。全く最低な人間だ。
ドリンクバーでもしたためながら本でも読んで時間を潰しつつ、バイトの1時間くらい前に出発すればいいか、などと考えていた。
母親からたまに来る水の仕送り(現住居はあまりにも水が不味いのである)の中に、一冊の本が入っていたので不思議に思い、中を見ると星野源のエッセイ『よみがえる変態』であった。
目次を見るだけでわかる、これはナンセンスの塊である、と。
送られてきたものを読まないのもどうかと思ったので、読むことにした。
下ネタばかりが文を埋め尽くし、こんな下品な人だったなんて!と幻滅する人もいそうなレベルである。
お墓がきれいに整備されている感動を、”ソープで従業員が丁寧に出迎えてくれた”感動に例える人間は世界中探してもおそらく彼くらいなものだろう。
下ネタのみならず、二次元的なものの造形にも深いようで、『らき☆すた』『スレイヤーズ』『コミックボンボン』といった単語が並ぶのをみて、ぎょっとしてしまった。
彼曰く、”飽きたならすぐに止めればいいが、好きなのなら、止めるべきではない。”そうだ。
曰く自分の好きなものに正直になれず、同胞であるはずの者を世間と一緒になって貶してしまった者の独白であるとかなんとか。
そんな経験、思い当たる節しかないので、ぐさりと心に刺さった。
そうして今一度考えてみたのである。
昼過ぎ、ココスのボックス席で休学期間を残り僅か残した独り身の大学生が、自分の好きなものについて。
世の中では第三次世界大戦だの言われている最中。
勉強は?嫌いだ。そもそも努力することが大嫌いだ。
でも、自分で学んだ倫理という科目は好きだった。あれが人生で唯一、勉強したと言える経験だったと思える。
スポーツ?もってのほかだ。大嫌いだ。この世で一番嫌いだ。
読書…昔はよくしていた。今もたまにするから、きっと好きなことだ。
音楽…自分では出来ないけど、聞くのは大好きだ。
こうやって、もっと単純なことから清算するべきなのだろう、と思う。
人生の深いところで悩んでももはやどうしようもないことばかりで、堂々巡りだ。
だからもっと好き/嫌いというような二項対立的な…単純な自分のことから整理していくべきなのだろう。
そうして篩にかけて残るもの。
長い間愛してやまず、純粋に好きだと言えるもの。
それはエロと執筆である。
性に早熟だった私はエロティシズムを早くから掻き立てられていた。
以前にも記述した気がするが、私の原点は『サキュバスの巣』と『魔物娘図鑑』だ。
これは誰になんと言われようとも、揺るがぬ私の実家のようなものである。
それから執筆。
不思議なことに今まで全く気が付かなかったのだが…私はきっと、書くことが好きなのだろう。
書かねばならない、という衝動が、やがて好きに転じてくれたのかもしれない。
こうして自分の内面を表現して、文字として出力されるこの瞬間は、数少ない喜びの瞬間として私に還元されていたのだ。
バイト先のスタッフブログなんか、書かないと落ち着かないとまで言っていたにも関わらず、そのことに、今まで全く気がつくことが出来なかった。
おかしいなぁ、と思う。
先日の遊戯王記事でpixivのリンクが割れているので今更という気もするが、これは私がネット上に公開した拙作の第一である。
内容としては某コンテンツのカップリングの2人がシュリンカー(異常性癖のうちの1つに数えられるだろう)的なプレイをしているものである。
言うまでもないが、ただのシチュエーションの延長であり、中身など殆どないのだが、これはきっと今こうして何かを書くきっかけになってくれたのだろう。
当時、どこにもない二次創作を欲しいと嘆き、なら作るしかないともがいて出力したのがこれ。
驚くことに、これは7年も前の出来事であり、時間の流れの速さを感じさせる。
この後も、ほそぼそと1年に1度ほど、(原作ファンから総掛かりで殴り殺されて東京湾に埋めてしまわれそうな内容の)二次創作を公開していくこととなる。
SSと呼べるかどうかすら怪しいがそれはさておき、そもそも自分の好きなものを何か形にして表現できる人のほうがそうそう少ないということにはもっと早くに気がつくべきだった。
内容の貴賤はともかく、こうして書くことは楽しいことであった。
何らかのインスピレーションを受けて、どこにも発散できぬリビドーを文字として書き殴り、pixivに公開し、ふと一息ついて眠りにつくあの瞬間が、何にも代えがたい喜びを有していると、なぜ気がつけなかったのか。
まぁ、本当に拙いものではあるのだが。
こうしたことにあのエッセイを通して、改めて気がつくことが出来た。
あの星野源の文章からは、まるで私たちのようなエロに対して真剣な、どうしようもない男どもの熱いリビドーが感じられた。その熱意はしっかりと伝わっている。ありがとう星野源。
それはそれとして、母よ、あなたの息子はその笑って見ている星野源以上のどうしようもない変態だぞ。他人事じゃないんだから。
ともすればあんなものを送りつけるのはほとんど皮肉だ。(彼は妻帯者であるのも相まって)
今度叱りを入れたほうが流石に良さそうである。改めて言うが他人事じゃねんだから。
そうして、こうしてはいられないと言って早々にドリンクバー耐久を切り上げてモニターに向かっている今に至る。
好きなことほど、身近にあって気が付かないものである。おかしいなぁ。
だからと言って、これを職業にできるほどの腕前は到底ないのだから、程々にしておこう。
きっと変に凝り固まると、また嫌いになってしまうから。
ちょっとずつ、細々と、執筆だけは続けようと思う。
多分、それが唯一の私の表現方法であり、生きる術なのだろう。
ここまでで約3時間。
あと1時間くらいは寝られるから、ギリギリでバイトに行こう。
それでは。