直江津駅は私が二番目に多く降りた駅である。(一番は地元だ)
南口には住宅地が広がるのみで、北口には出てすぐ右手にごく小さな立ち食い蕎麦屋、大きくはないホテルと寂れた商店街があるばかりである。
帰省こそすれど、実家までは新幹線で一本なので降り立つのは久々だ。あまりに変わり映えがしないので、懐かしむよりもかえって薄気味悪かったが、立ち食い蕎麦屋がまだ残っていたのは心なしか安心した。
今日は東京から夜行バスで新潟市まで出て、朝早くに直江津まで向かうという段取りだった。
特急しらゆきという、新潟と新井とかいう辺境をどういうわけか結んでいる特急がある。
見てくれこそ新品同様だが、中身は古めかしい特急そのものだ。背もたれシートから漂ってくる匂いは年季が入っている。
高校在学中はそれを横目に、これに乗れば新潟に行けるのかぁなどと思案していたが、乗ってみたら特急券込みで5000円近くしたのでひっくり返った。
いつも目前にあるものの値段もよく知らなかったのである。
新潟の車窓といえば単調で、飽き飽きするばかりである。
住宅街か、郊外型店が立ち並ぶ国道か、さもなくば田んぼを延々と狂った映写機みたいに映されるんだからたまったもんじゃない。
海沿いにまで出ればまた違うのだが。
海沿いの街で育った人間だから、海が見えていると性に合うな、という感じがする。今山に囲まれているから尚のことである。
…ここまで書いて、一度時間が飛ぶ。
両親の迎えが来て、自家用車に乗るなり獣道に揺さぶられ、臓物が口から出るかの思いがしたのみならず、父の副流煙があまりに酷いので呼吸もままならないので横になるので精一杯だった。
私の父は「異常独身男性」という肩書きに足を生やしたような人物である。
過度な収集癖、足の踏み場もない自室、ヘビースモーカー(日に2箱も吸うことがある)、初対面の人間との距離感のバグ、頑なな信念、云々。
唯一肩書きに当てはまらない点と言えば、どういうわけか伴侶を得て私が存在しているということのみである。
その私がこんなチャランポランなので冗談にしても笑えない話だ。
母はと言えば私が帰ってくるなり有頂天で、昼食だというのに飲みきれない瓶ビールを頼むなり私に尻拭いをさせる始末である。
ただでさえ気持ちが悪いのに吐き戻す寸前であった。
そして私はと言えば徹夜でパチ屋に並んで中間らしきものを打ち通した結果ボロ負けして友達とヤケ酒した帰りであるから、もう何も言えない。
一家揃って救いようがない。
こんなグロテスクな団欒があってたまるか。
心底気味が悪いので早く帰りたい。
家族というのは一種のロールプレイだと最近は思うようになっている。
各々が"与えられた"役割を、否が応でも演じる羽目になる、つまらない活劇のようなものである。
家族相手であれど、正しい会話を結び続けなければならないのだから、疲れるったらありゃしない。
どこもそんなものなのだろうか。それとも私が勝手にそう思っているだけなのだろうか。
なんにせよ、疲弊の真っ只中である。
これからまたストレスの種も増える。
ただ安らかさを望む。