主人公の竿役が男の娘という画期的なゲームである。まぁエロゲの沼ではないので本当に画期的かどうかはわからないけど。
発売当時、男の娘ブームの先達とも言えるような立ち位置にいて、いたく評判になっていたのは記憶に新しい。(発売2016年やぞ)
ちなみに当時メジャーコンテンツとして流行っていた男の娘コンテンツは少年メイド・ハッカドール・FGO(アストルフォ)辺りである。多分。
私ははっきり言ってエロゲーを好む方ではない。
というのも、小さいテキストボックスで文字を追うのが苦手で、どのコンテンツにも逐一言っているのだが頼むから書籍で出してくれ、と再三言っているのである。
嫌いというよりかは、単に情報の摂取の仕方として不得手なだけということである。どちらかと言えば本で読みたい。
さてそんな私だが、それでもエロゲを購入したのはなぜなのだろうか?
端的に言えば、ある種、憧れの象徴であるからだ。
信じられないことに、2016年当時の私は16歳である。当たり前だけど。
早熟であるにせよないにせよ、その歳にもになればエロコンテンツに触れているのは当然として、その手のものを購入することまでは憚られるような、微妙なお年頃である。
エロゲの沼なんていうのはオタクのある種極地で、2000年代初頭へのノスタルジーでもある。
だからこそオタクマインドを持つ者としては、憧れの対象になる。
だが、オタクはその時の熱で行動しがち故、裏を返せば時間が経つと熱が冷めてしまうこともままある。
2年も経てばエロゲは買えると言えども、実家でプレイできるわけもなく、かと言って大学に来た今、改めてプレイするか?と言われればそれも悩ましく。
当時買わなかったからには、興味も流れるのが世の理である。
だが私はそれを今買った、何故か?
未練である。
果たすことの出来なかった未練は、いつまでもいつまでも燻り続ける。
止むことのない鈍い痛みが、いつまでも体の中を駆け巡るのである。
未練は果たさなければならない。
半ば執着にも似たこの感情を、どこかに追いやらなければならないのである。
だからこそ、当時の憧れ、今の未練を、討ち果たすためにはオトメ*ドメインをプレイする他ないのだ。
思えば、一時期特撮というか仮面ライダーの沼に落ちていたことがある。というか今も好きだけど。
あれは高校3年生のことで、グッズをやたら買い漁るほどまでにはハマった。ちなみに今プレミアが付いた。
あれも一種の憧憬と、未練の浄化である。
私が小さい時には純粋に仮面ライダーにハマることが出来なくて、ストーリーラインを追えていなかったり、いわゆるDX玩具を買えていなかったりとなかなか後になって悶々とすることが多かった。
それがある時突然爆発するとああいうことになる。
単に改めて面白さに気づいたということと、オタクの悪癖が曝け出されたとも言えるけど。
私は人生が周回遅れになっていると感じている。
その時体験しなければならないことを上手く体験できなくて、後になって体験したり、未だ体験出来ずにいたりしている。
心理学徒的に言えば”発達段階”の遅れとも言えるかもしれない。果たして本当にそんな高尚なものかどうかはさておき。
だから、私は今精神的に、大学生と言えるほどのフェーズにない。
よく”心が中学校に取り残されている”なんて表現をしているが、あながち間違いではない。
精神遅滞という表現をすると別の意味になってしまうのだが、文字通り捉えるのなら、まさにそのような状態にある。
私の身体は未練の煉獄にある。
果たされた未練と、未だ果たされない未練の混沌の中に放り投げられて、藻掻き続けている。
どうして人生とは斯くも…