ド畜生黙示録

オタク的ないろんなこと

ド畜生、VTuber栞葉るりに的確な指摘を受け、死亡

はじめに

※ブルーアーカイブエデン条約編第3章ネタバレ注意(なんで?)

急に何?いつも死んでるだろ

栞葉るりはブルーアーカイブのストーリー配信が非常に面白く、デビュー2ヶ月ほどにも関わらず毎回同接1万人近くを記録しているVTuberである。

バイトから帰宅し、今日リアタイすることのできなかったエデン条約編第3章の後編配信を見ていたところ、突然死角から槍の雨が斜め45°くらいの角度で襲いかかってきて死んだ。

御存知の通り私は今までVTuberのアンチを自称しており、しかしあるきっかけで突如として猛烈なファンへの回心を遂げた。その様はさながらアウグスティヌスの如く。

アンチ活動の軌跡はこちらから。

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今まで私のこの嫌悪感は、理路整然として言語化されており、全く正当なものだと信じて疑わなかった。

もちろん、ある時期からこの感情が一方的で独りよがりで、ただの激情であり、なんの正当性もないことなど薄々感づいてはいたのだが、引き返すことなどできなかったし、赤月ゆにだけは見ているということにすら正当性を見出していたのだからなんというかどうしようもない。

私はこの感情に”諦めをつけた”のだと思いこんでいた。

半分くらいこれは事実である。
くだらない意固地を張り続けることに何の意味もないと気がついてしまったし、それはただ誰かに危害を加えるということに他ならなかったし、何よりもそれに疲れてしまったから。

ただ、そういったアンチ的な感情は、理由が先に来て感情が後からついて来るものだと信じて疑わなかった。

彼女はこれに対し明確な答えを出した。

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違うけどさ、ネットで嫌いなVTuberがいて、なんとなく嫌いで、理由を言語化できなかったんだけど、理由なく嫌ってたら自分が嫌なヤツみたいになるから、嫌いな理由を言語化していったら自分の中でどんどんどんどん自家中毒になっちゃってアンチ化しちゃうみたいなそういう…そういう感じ?

【ブルーアーカイブ】第十二話 友達を助けるのに理由なんていらない【栞葉るり/にじさんじhttps://www.youtube.com/watch?v=rXOmq9z3bbI&t=3501s より

VTuberアンチの話ではなく聖園ミカのゲヘナ嫌いの理由をつまびらかにするシーンなのだが、その例えがこれである。自分のことを言われたのかと思ってぎょっとした。

気分としては、監獄に入っていた前科者が、シャバに出てもなお過去の罪の後ろ指をさされて罪悪感に苛まれるみたいなそんな。捕まったことないけど。

つまるところ、なんとなくVTuberが嫌いで、それに対してただ嫌いという感情を吐露すると馬鹿に見られるか、いい印象を持たれないから、そこにさも真っ当に見える理由を後付して言語化したらそれが自分の中でどんどんと正当化されていって、本当にアンチになってしまう、っていうそういう話。

聖園ミカについて話をすると完全に話が脱線してしまうのでここでは詳細は省くとして、しかしこれは聖園ミカが誤った道を進んでしまったことに理由を求めたのと全く同じ構図であるということだ。

エデン条約編は本当によくできたストーリーで、配信を含めてかれこれ10周くらいは読んでいるというのに、自分が全く同じような境遇にあったなどと、そんなことはまるで考えたこともなかった。

人に言われないとこういうのは気が付かないものなのだろうか。

憎悪というのは日常のそこらに転がっていて、ともすれば自分のものにすげ代わって、ふとした瞬間にそれを振り下ろしているのかもしれない。

何より、かつての自分には自分なりの正当性があったと、今でも信じて疑わなかったそれすらも打ち壊されたことに衝撃を受けた。実存主義構造主義によって討ち果たされた時もこんな衝撃が走ったのだろうか?とふと思った。


自分で自分のことを客観視できているなどと決して思ってはいけないのだろう。

憎悪に飲まれているとき、自分を正当化しているとき、決してそれを自ら省みることはできないのだと、思い知らされた。


ああいったアンチの事例が何気なく出てくるということは、そういう人が結構普遍的であるということなのだろう。

私は文化のレジスタンスを気取っていただけではなく、更にそれが結構ありふれたものであるというなんとも滑稽な姿を晒していたに過ぎなかった。


断じて決して過去の行いが消えることはないが、こうした経験は無駄にならないと信じるしかない。

どれだけ許しを希おうとも、許しを施すものなどいないのだから。

今、ファン活動を行っている間も、また知らず知らずのうちに何かしらの正当化を行っているのかもしれないが、それもまた、あるときにふと気がつくしかないのだろうな。

歩んできた足跡を、ましてや今自分が残しているそれを、ニュートラルな立場から振り返ることができるとなどと思い上がってはならない。
それは傲慢であり、自らを偽る行為であると、そのことを思い知らされるアーカイブであった。

以上。

栞葉るりのブルアカ配信は大変良いので見ような。

おまけ

アンジュは総受けであるというのを自称しており、事実としてほとんどの表記はアンジュが後ろである。

リゼアン、とこアン、ベルアン等々。

そんな中”アンマオ”が光る。

なぜかまちゅには徹底した攻勢に出るアンジュ。

微妙な態度のまちゅ。

いいね。

こういうところに趣を覚える。